大切なのは「中庸」。バランスの良い人生を生きよう。

コラム

中庸。

釈迦の教えの1つである。

(ざっくり補足すると釈迦は仏教の元になった人。宗教はつくってない。天才的な哲学者。仏教は後の弟子がつくったもの)

どういう意味か?

「どちらかに偏ることなくバランス良く生きろ」

こういうことだ。

例えば、スピリチュアル大好きでどっぷりハマっている人。

極貧で苦しい生活している人が多い。

アメリカの統計によるとスピリチュアル好きはIQが低く収入も低い傾向にあるそうだ。

彼らは、「自然を大事にしよう」「前世は〇〇だったから〜」「愛と平和の世の中にしたい!」

とても素晴らしいことを言うが、経済的にも社会的地位にも恵まれていない。

この世界は資本主義が中心。

よって、論理的な思考やお金の知識がないと厳しい生活になる。

スピリチュアリストはこのあたりが疎いようだ。だから、生活が苦しい。

当然、そういう人は多くの人に影響を与えられない。

だから、「世の中こうしたい」というビジョンがありつつも、協力者が増えない。

結果、貧しい生活のまま貯金を切り崩してボランティア活動などしている。

 

その対局で、お金儲けだけに邁進してしまう人もいる。

「金!金!金!」と、家族も友人もかえりみず稼ぎまくってしまう。

しまいには人も騙したり、仲間を見捨たり。

自分のカラダを犠牲して大病になることも。

とあるIT企業の社長だった人。

人徳を欠いたため参謀に裏切られてしまい投獄してしまった。

こういう人は財産を狙われやすく変な詐欺にあったりもする。

結局、また金を稼ぐことでしか自分を満たすことができず同じ負のループを繰り返す。

 

さて、冒頭の話。

釈迦は中庸を説いた。

「どちらかに偏ることなくバランス良く生きろ」

要するに、

スピリチュアリストのように自然を愛し自分を愛しながら、しっかりお金を稼ぎましょう。

ということだ。

スピリチュアル的な出来事は、未だに科学的にも解明できていない部分もある。

気功もその部類に入るだろうが、なぜか結果が出るのだ。

論理に偏った人は完全否定してしまうが、こういった要素を人生に取り入れていくと豊かになるのだ。

例えば、どうしても論理的に説明できないことは人生には起きる。

偶然、チャンスがふってきた。たまたま一命をとりとめた、など。

そこで「自分には運がある」と、根拠のない解釈を入れることで脳の思考パターンがポジティブになる。

そして、人から見たらネガティブなことさえもポジティブに捉えることが可能になる。

また、お金を稼ぐことは悪いことだという認識は日本人は多い。

お金の話をしてはいけない、と家庭で言われてきた人は多いだろう。

そんなことない。お金を稼ぐことは素晴らしいことだ。

経済の本質は価値の交換。

お金をもらうということは、相手に価値を提供したということ。

お金を稼いでいる人は多くの人に価値を提供して社会貢献しているんだ。

だからこそ、どんどん稼ぐべきだ。

言葉を変えよう。

たくさんの人に価値を提供して、結果としてお金をたくさんもらおう。

どちらかに偏ることなかれ。

栄養だってそうだろう。

極端にビーガン食や添加物を避けすぎると、大事な人とのコミュニケーションという機会を失っていることになる。

これって大きな機会損失だ。

例えば、本当にすごい人ってのは、テレビにも出ない。

ふとした食事会にふらっと登場するものだ。

有名なとある会社の社長。

誘われた食事会で仲良くなった。

「馬主になるんですよ」と、さらっとすごいこと言う。

馬主は紹介制度。上場企業の社長2名から推薦されたとのこと。

この方と何度も食事をして大金持ちの趣味を教わった。

それがパイプと葉巻だった。

今ではパイプと葉巻を吸うことで未来のイメージにも活用できている。

それよりも、ここでは書けないし、語っても伝わらないものを得ることができた。

一緒にあの場にいないとこれはわからない。

極端に添加物を避けていたら、このようなチャンスはなかった。

とあるファスティング講師はこう言っていた。

「普段は食事に気をつける。けど会食などは気にせず参加する。そうしないと人生が豊かにならない。友達も減る。ビジネスチャンスも減ってしまう。だからこそ、定期的にファスティングしてデトックス。これで健康のバランスを取っている」

趣味もそうだろう。

文化系の趣味だけでなく体育系の趣味の両方を持った方が良い。

例えば、楽器演奏とランニング。将棋とボクササイズなど。

文化系の趣味だけだとカラダを動かさない。

結果、肩こりがひどくなったり体力が落ちて体調を崩してしまうかもしれない。

体育系の趣味だけだと情緒が醸成されにくい。

花を見たり絵を見たりして感動できなくなると人付き合いに摩擦が生じるものだ。

どちらかだけはダメなのだ。

中庸。

ぜひ、意識していこう。

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