救われた楽曲がある。
RADWIMPSの「‘I’ Novel」。
「自分小説」
なんだか良い響きじゃないか。
この頃、RADWIMPSは国民的なバンドとして知名度を上げているところだった。
翌年には「前前前世」を発表。紅白にも出場。
まさに、ステップアップする前の歌である。
偶然にも、私もこの曲を聞き入っていた半年後に、ITサービス事業を立ち上げている。お陰様で約10年続いている。
そういう意味では、人によっては大変ご利益のある楽曲なのではないかと思う。
歌詞の内容も大変素晴らしい。
ずいぶん長らく歩いてきたような そんな気がしていただけなんだ
小説にしたらせいぜい まだ三行目あたりのこの人生
あのRADWIMPSでさえも、そんな感覚なのか!と大変驚いた。
ということは、自分なんてのは、まだまだ。
そして、自分がゴールだと思っている場所に行っても「小説にしたらせいぜい まだ三行目あたりのこの人生」と感じるのかもしれない。
そう考えると、ますます先の大きなゴールを見据えたい。そんな気持ちなった。
自然とエフィカシーが上がる冒頭部分である。
カバーもまだ 題名もまだ 決まらずに書き始めちゃったから
どこでどうしてどうなってって順序よく 収まりつかないや
がむしゃらでいいんだ。と安心した記憶がある。
誇れるほどのものはまだないが 僕だけに光るものはあんだ
謙虚だがエフィカシーは高く。
どうにもこうにもいかない時でも どうにかこうにか
ここまできたんだよ 今自信を持って言えるのは
よくよく考えると、人生なんとかなっている。これからも確実になんとかなる。
ゼロで生まれた僕なのに 今名前を呼ぶ人がいて
当たり前などない脳に 産み落としてくれて ありがとう
今は悔しい、苦しい時期かもしれない。が、よくよく考えれば、そんな感情を感じることができている自体が奇跡。もしかしたら、その感情を楽しむための時間かもしれない。ワンネスにはない感覚だろう。
1ページを生きた少年の 本には誰よりも光る一行が
綴られているんだ そう信じてやまないんだ
そうそう。誰だったそう。自分の人生もそう。
僕もどれだけ遺せんだ ねぇどれだけ生きれんだ
時間以外の単位で
抽象度の高さよ。時間を超越した作品を残そうとしている。超越したアーティストだ。自分も同じような抽象度を持ちたい。そう感じた部分。
懐かしい曲だが、必要な人には大変響くと思って紹介した。
きっと、あなたの小説は素晴らしいものになる。大丈夫。
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