人生は自分ごとで考えなければいけない

コラム

私は新卒で入社した会社を辞めて起業している。

その際、同期の存在は大きかった。

貴重な同世代。

仕事も人生も悩むポイントや嬉しいところは似ている。

共感という時間が持てることが大変ありがたかった。

 

その同期の1人が亡くなったと知らせを受けた。

もう2度と会えないという悲しみに襲われた。

そして、自分と同じ年齢で人生が終わる人が本当にいるという事実。

衝撃だった。

子供もいるそうだ。家族は大変辛いだろう。

ご冥福をお祈りいたします。

 

さて、この件で私は本当に深く考えてしまった。

果たして本当に自分の人生を生きているのだろうか、と。

もし、明日死ぬとしたら後悔しないだろうか。

やり残しはあるだろうか。

そう考えると、自分にとっての本当のゴールだと思えるものが浮かんできた。

もっと〇〇したい、やってみたかった〇〇をはじめたい、など。

 

さて、ここで重要なことがある。

それは、自分の人生は自分ごとで考えなければいけないということ。

当たり前な話だが、こんなことを聞いたことはないだろうか。

「賢者は他人の失敗に学び 愚者は自分の失敗に学ぶ」

これは本当か?

人類で賢者は何人いるだろうか。

ほとんどいないと思うのだ。

これはドイツ軍人ビスマルクの言葉らしい。

確かに軍事戦略となれば話は別だろう。

歴史の実例から作戦をしっかり考えなければいけない。

多くの人が亡くなるからだ。

しかし、自分の人生を他人の失敗から深く深く考えて実行できる人は、少ないのではないかと思う。

実際、偉業を成している人ほどたくさん失敗しているじゃないか。

最近読んだ本も著者自身がたくさん失敗しているが、著者は大成功している。

だから、人間は自分ごとで本気になって考えるチャンスがないと考えることができないのだと思う。

 

今回、同期の死は考えるチャンスになった。

いや、同期からチャンスをいただいた、ということなのだろう。

自分と同じ年齢の人間の死は、とても臨場感がある。

こういうことが身近に起きないと人間は変わろうとしない。

もう変われないと思っておいた方が良いのではないだろうか。

だからビスマルクの言葉をアレンジしたい。

「賢者は自分の失敗から学び 愚者は自分の失敗から学ばない」

これからも、うまくいかないことやアクシデントを恐れずに学ぶことに焦点をあてていきたい。

亡くなった同期へ。謹んで哀悼の意を表します。

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